★Novel >> カレーなるお留守番/桐村 香猫

NOVELに戻る


「カレーが食べたいの」
 俺は頭の中が真っ白になった。
「え……?」
「あのね、昨日ご主人様とカレー作って食べたいねってお話ししてたのー」
 無邪気に、兎は笑顔で言う。
「いや、俺はおやつに何が食べたいかって聞いたんだけど……」
「カレー」
 くらくらした。


「ねえ、ユエ。お願いがあるんだけど……」
 黎明がいつもの天然な笑顔で、部屋の戸口に立っていた。
 扉を開けた俺は先程起き出したばかりで、肩に鼠の使い魔を乗せたまま歯磨きをしていたところだった。
「何だよ、いきなり。お前が俺に頼みごとなんて珍しいな? 内容によっては断るぞ」
 だけど、名指しの依頼を断ったことはなかった。
 現に頼りにされて、歯ブラシをくわえたままの口の端が上がってしまっていた。
「んーまぁ、どうしてもって言うなら叶えてやってもいいけど」
「ありがとう、急にごめんね」
 手を合わせながら、黎明は用件を切り出してきた。
「あのね……今日これから出かけなきゃいけなくなったんだけど、突然だったからおやつ作ってなくて。悪いんだけどあの子たちに食べさせてあげて欲しいんだ」
「ちょ――待て!」
「ちゃー!?(きゃー!?)」
 慌てて歯ブラシと肩のちぃーちゃんを落としそうになってしまった。
「悪い、ちぃーちゃん。
 いつもは……留守番はお隣さんに頼んでるんじゃなかったのか?」
「キリチョも一緒に出かけるんだよ。それに彼におやつ作りはちょっと、ね」
 ふたりで苦笑いする。俺たちの師匠であるキリチョは牛乳嫌いなのだった。
 そこでしばらく考えたが、結論は変わらなかった。
「でもこれって、おやつ作りよりあいつらのお守り、の方が重要だよな?」
「うーん」
 黎明は微笑むだけだった。


「ユエお兄ちゃん、これ入れると美味しいって黎明お兄ちゃんが言ってたの」
 エプロンを身に着けた子熊が、リンゴを手に歩いて来る。
 俺も黎明のエプロンを借りて台所に立っていた。
「お、じゃあ貸してみろ」
「うん、皮むいてからねー」
 俺の隣に台を置いて、その上でクマタンはとある箱を用意して皮をむき始めた。
 台に置かれた箱は鼓吹の作った皮むき器だった。リンゴなどを箱内部に入れて外のレバーを回すと皮だけがむけるという品物で、刃物には触らないため危なくはないのだが、何だか気になってしまう。
「うんしょ……うんしょ、うんしょ」
 小さなクマタンではレバーが重いのか、掛け声が余計に不安をかきたてる。
 数分経った頃、
「出来た!」
 とクマタンに差し出されたリンゴは、ところどころ皮がついたまま、ところどころ削れ過ぎ、の不細工な出来だった。
(黎明だったらこういう場合――) 
「……あ、ありがとな」
 言いたい言葉をこらえて受け取ると、満足げなクマタンに見られないように皮を処理した。
 その後、他の具材を探しに冷蔵庫を開ける。
「何だよ、今日は何もないな」
 カレーに定番のジャガイモ、ニンジン、タマネギがない。肉なんてもってのほかだ。
「仕方ないな……どうせおやつなんだから具はリンゴだけで作るぞ」
 蜜の詰まったリンゴを切り分け、水の入った鍋を用意していると、
「シルヴィもやるー」
 突然、桜色の兎が台所に乱入してきた。
「え? お前、ちぃーちゃんと居間にいたんじゃ?」
「だって……僕がワガママ言ったんだもん。お客さんなのに」
 ショボンとしたシルヴィに、いつもの見方を見直すことにした。
(へぇ、使い魔にしてはマイナスだらけだけど、こいつにも可愛いだけじゃないいいとこあるんだな)
「あ、これ鍋に入れればいいの? この位なら僕にも――」
 その小さな手が、クマタンの手から缶を奪う。
「あ」
 気づいた時には事件は起きていた。
 缶はひっくり返り、シルヴィにまっ逆さま。
「きゃー! シルヴィがカレーパウダーまみれに!」
 クマタンが慌てふためいて、シルヴィの茶色の頭をはたく。
「やめろ、回りに飛び散る!」
 俺の一喝にクマタンはパニックを抜け出し、台所の角で丸くなった。
 あとは問題の一匹。
「これは……日焼けだもーん」
 当の本人はそんなことを言いながら平気な振りをしていたが、かなり焦っているようだ。声は震えているし、耳はピンと立ったままで、顔も緊張して引きつっていた。
「こら、誤魔化すな」
「だ、大丈夫なんだもん」
 動揺しながら頭を振ろうとするシルヴィを、急いで耳をつかんで制止させる。
「……落とすのはこんなとこでじゃなくて、風呂でだ!」
「きゃー」
 そのまま耳を持って連行するしかなかった。


 その日の夜、帰宅した黎明は「夕ご飯にカレーの予定」で買い物をしてきたようだったが、台所の惨状を見て呆然とするばかりだった。
 疲れ果てた俺は、居間でクマタンとシルヴィに囲まれて倒れ込んでいることしか出来ない。
「――黎明、頼むから風呂で遊ばせるのはやめろ。あれじゃお湯がいくらあっても駄目だ」
「台所のことだけで疲れてるんじゃなさそうだな」
 黎明の背後でキリチョが苦笑しているのが見える。
 あの後が大変だった。
 くすぐったいと騒ぐシルヴィと全身ずぶぬれになって格闘し、やっとの思いで洗ってやると、今度はちぃーちゃんが真似をし始めてしまい風呂で飛び跳ねる始末。
 シルヴィに構い過ぎたせいで、彼は拗ねてしまったのだ。
 ちぃーちゃんの機嫌を元に戻すために時間と体力を費やしてしまった。
「今夜はカレー出来ないから、パスタに変更だよ。粉チーズもあるよ」
「ちぅ?(チーズ?)」
 黎明はちぃーちゃんに缶を見せて謝った。
「ユエ、ごめんね。お礼とお詫びにご飯食べていって」
 もちろんそのつもりだった。部屋に帰ってもご飯の支度をするなんて真っ平だ。
「……シルヴィも反省してる?」
「うん、ごめんなさい」
 既に何十回聞いただろう言葉に、力なく頷く。
 魔法の腕のことは分かりきっているが、何度も留守番を頼まれてるキリチョが凄いと思った。


 頼むから、留守番はもう勘弁してくれ……。


END


シルヴィは時折変なことを言いますが、当人は真面目です。
そしてその対応をする相手はとにかく疲れることでしょう。
可愛いけど。


NOVELに戻る